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▼白鷹町畔藤熊野神社の獅子頭に大発見

白鷹町畔藤熊野神社の獅子頭に大発見/
2014年9月に畔藤熊野神社の三頭の獅子頭を拝見した。

この年、神主さんが古い黒い獅子頭を発見したというので社務所で検分できたのである。

神社にはその黒い獅子の他、赤い獅子頭が二頭あり形は西大塚の薬師堂の黒い獅子頭と同様の

形である。その赤い二頭の片方は記名があり、「昭和4年9月23日 彫師 竹田吉四郎」とある。


竹田吉四郎の作


顎の底の持ち手?


黒い獅子 





今回は訳あって獅子頭を拝借する機会があって詳しく検分する事が出来た。

大発見は別の獅子頭の顎の左牙の側に書かれていたのを発見した。暗い朱色に比較的明るい朱色

で小さく書き残されていた。この獅子頭は部分修理はあるが、唇から鼻、目の下、耳穴と割れが

見られ、幸い大修復される事なく使われなくなった事から記名が残ったのだろう。




記名は 「宮邑(みやむら)高橋 小兵衛作  成田村 横山直太郎塗 」とだけ記され年代の記名

は見つかっていない。高橋小兵衛の作の獅子頭の記名は長井市平山の熊野神社の安永9年の獅子頭に

残されているだけで二作目である。またその記名には塗りは「成田」とだけ残されていた。



「横山直太郎」の名前の記載も初めてで、眼球の縁や眼球の窪みの赤の繊細なラインが見事である。

記名を見つける前までは、明治期の梅津弥兵衛の作と推測していたが、小兵衛の獅子頭デザインの

造形力の凄さを思い知った。竹田吉四郎の作の獅子頭は高橋小兵衛の獅子と少しデザインが違ってい

て、特に脳天に黒い冠の様なものがある。また、顎の底にはU字型の握り手状のものを付けている。

 高橋小兵衛の獅子頭の内部には破損の補強の為に、軸棒の様に眼球の下部に棒を取り付けられてい

る。平山の熊野神社の小兵衛の作にも同じように棒を取り付けられている。これは故渡部 武氏ご本

人が自分が取り付けたという証言を記憶している。また畔藤熊野の小兵衛の作の獅子の舌に注目して

いる。平たく尖った舌で、総代の伊東氏に聞くと、そこに獅子振りが、注がれたお神酒を飲むのだと

いう。同じ所作は五所神社で見られ、畔藤でも同様の所作が伝えられていたのか今後調査したい。

また、小兵衛と吉四郎の獅子の軸棒の位置を比較してみると、小兵衛の獅子は軸棒が三本あり、二本

握るには距離があり過ぎるので、上部の棒を主に握り下部の棒を手首に当てて支点にして口を開ける

方法に設定している。


小兵衛の作


吉四郎の作

吉四郎の獅子は二本の棒を握り、口を開閉する通常の位置であり、獅子が奉納された時点で獅子舞の形

が変化したのだろうか?




川西町西大塚の薬師堂の黒い獅子頭を私が初めて拝見した時は、顔の中心から真っ二つに割れ、針金で

辛うじて形を維持されていたが、その後見かねて簡単な修理を奉納している。この獅子は竹田吉四郎の

作と推測し、一説では今泉の稲荷神社から寄贈され、獅子舞も伝承されたと言われている。



西大塚薬師堂の獅子頭 改めて見ると高橋小兵衛の作に見えてくる 額の朱のコブも特徴的

「宮邑 高橋小兵衛作」の記名の発見は、畔藤熊野神社の獅子舞の歴史が明治時代から江戸時代に引き戻し

した。高橋小兵衛が小山沢七星神社の獅子頭の作者の可能性も出てきた。畔藤熊野神社は三地区(町下の雷

神社、小山沢七星神社、広野観音)で交替で行っているという。これは昔、小山沢に熊野神社の奥の院とい

う所があり、それを現地に移した事から三地区で一年ごとに交替で行っている定めとある。地域の神社の獅

子舞の他に、それぞれの形で熊野神社の獅子舞を行うのだから不思議な習慣に感じる。何か複雑な歴史が

あるのかも知れない。







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