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▼謎の婆獅子

謎の婆獅子/
以前に制作した婆獅子を仕上げている。
婆獅子とは伊佐沢神社に合祀した中伊佐沢の稲荷神社から伝わった成田五十川系の大獅子である。











作風から、安永や天明期に制作された高橋小兵衛の作と推測している。稲荷神社は伊佐沢神社から
そう遠くはない逆川の対岸にあり、神社を曳いて現在の場所に移動したと聞いた事があるが定かで
はない。境内の西側に位置し、5月の例祭日には獅子連中の着替えや、直会をそこで行う。板壁に
古い落書が残されていたが、いつの間にか改造されて小ぎれいになってしまった。







婆獅子は見た目からきたアダ名で、この獅子頭も以前は獅子舞に用いられていたらしい。軸棒が成田
と同じ三本だが、二番目は角材が取り付けられている。頭上にのし上げると自然と顎が下がり、恐ろ
しい表情で見渡す様な迫力ある獅子頭である。成田五十川系の獅子頭の額は平滑な曲面で多少頬にコ
ブが彫り込まれているが、婆獅子の額や頬、耳の下に無数のコブが彫り込まれている。更に中央の脳
天には子供のゲンコツ大のコブがある。そこにもタテガミが植えられているので、気づかない。
東大寺国宝の獅子頭に同じ様に額に皮膚や筋肉の隆起を表している獅子頭があり、小兵衛は影響を受
けたのだろうか?





耳も成田五十川系や飯豊 諏訪神社系の耳の様に柳葉型の先が鋭角の耳でなく、総宮系の耳に黒縁が付
いた耳である。鼻も独特で、生臭い鼻息が噴き出して膨らんでいる様な大きな鼻の穴である。眉毛は
ギザギザが四つ有り、成田五十川系より平面的でトゲが鋭い。





写真を基にレプリカを制作しているが、その無数のコブの再現が特に難しい。

明治27年に梅津弥兵衛昌利が総宮系の獅子を残し、その後に弥兵衛吉藏の作が残されている。伊佐沢
村は江戸期には修験の坊が20カ所もあったという。そんな環境で婆獅子を用いて、どんな獅子舞が行
われていたか興味深いものである。




2019/11/30 08:30 (C) 獅子宿燻亭7
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