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▼母の死

私事ですが、今月母が亡くなりました。91歳でした。白鷹あゆみの園に入所しており、肺炎を発病し、病院に入院して1か月間の闘病生活の末に亡くなりました。
肺炎だったので、毎分5リットルの酸素投与にもかかわらず、苦しそうな顔で、脈拍も最後の日は1分間に130回、臨終時には1分間に200回にもなっていました。何もできず、私はそばで最期を看取ってあげるだけでした。
母は、昭和20年の東京大空襲を生き残り、その後当時死病と言われていた肺結核を発病し、7年間の闘病生活を送ったのちに病を克服して、結婚し私を生んでくれました。そのせいもあり昔はよく、「私は一族の中で一番早く死ぬんだ。」と言っていましたが、結局一族の中での一番の長生きになりました。晩年は「私にはひしひしと死が迫っている。」「まだ死にたくない。」が口癖でした。
しかし、肺結核を患い片肺の機能がかなり落ちているので肺炎を起こしたら危ないとは思っていましたが、その通りになりました。母は、近年、体の衰えが目立ち、目も見えなくなり、発音も思うようにできなくなり、耳も聞こえなくなり、食事も、一人で食事ができる入所者の中で一番摂取に時間がかかるようになりました。認知症も進み、字も思うように書けなくなっていました。食事をとるのが非常に遅く、呑み込みが悪くなっていたのでしょう。誤嚥性肺炎を起こしたと思われました。
入院後、呑み込みがうまくできず、誤嚥を繰り返しているようだとのことで、点滴のみで飲食、飲水は禁止となりました。手足からの点滴のみでは一日百キロカロリーから多くても数百キロカロリーのエネルギー補給が限界です。それ以上では高濃度になるために末梢血管が閉塞してしまいます。ですから、母も例外なくみるみるやせ細っていきました。
私は施設での看取りを行っており、今まで何人もの人のご臨終の場に立ち会ってきました。人間は、病気以外では高齢になって呑み込みができなくなって、誤嚥性肺炎をおこしたり、食物をのどに詰まらせて死ぬのです。病気が治る見込みがない、またはいわゆる寝たきりで、意思の疎通もできない、自分で自力摂取もできないとなったならば、病院、施設では家族と話し合い了解を得たうえで、看取り対応をします。つまり、点滴で水分を補給するだけで自然経過を待つのです。そうするとそういう人たちの多くは、自分の体に残っていたエネルギーを全部使いきって静かに旅立たれます。
ところで、私の父は8年前に亡くなりました。アルツハイマー病を発病し、最後は寝たきりで、意思の疎通は全くできませんでした。父が、誤嚥による肺炎を繰り返すようになった時に、私はある決断を迫られました。このまま経過を見て呑み込みができなくなるようになったら、点滴して看取るか、経管栄養や胃瘻をして強制的に食べさせて延命を図るかのどちらかです。意思の疎通ができなくてもせめて父の暖かい体に触れていたいと思い、このまま死ぬのをただ見ているのは息子として、医師として悪い事のように感じ、病院で胃瘻形成をしてもらうこととしました。胃瘻形成の時、手術室で父が今まで出したこともないような大声を上げていたとの話を聞き、もしかしたら自分は父に対してかなり悪い選択をしてしまったのではないかと思うようになりました。その父も、その後一言も言葉を発せず、意思の疎通もないまま1、2年後にたぶん窒息と思いますが、突然亡くなりました。やはり、自分は父に対して悪いことをしてしまった、そのまま自然経過で看取ってあげればよかったという思いを強くするようになりました。それで、今回の母の場合は、そのまま看取ることに同意したのでした。
一日百キロカロリーの栄養補給でみるみるやせ細り衰えていく母を毎日見るのは、とてもつらいものでした。しかし、私も医者として看取りの患者さんに同じことをしているのだと思うと、今まで看取った患者さんの家族の気持ちもいかばかりであったろうと強く思うようになりました。
これからも私は否応なく看取りをしていかなければならないでしょう。亡くなっていく患者さんは、人間の運命、命の限界、さらに医学の限界としてしかたがないと思っても、その家族の方達の気持ちに対しての医師としての接し方をどうしていくべきか、母から教わったような気がしています。

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