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▼五味沢の獅子踊と神楽獅子

五味沢の獅子踊と神楽獅子/
8月の終わり頃、小国町に訪れた。

「小国町の文化財」という本に小国町の伝統芸能について詳しい資料を見つけた。

小国町の新屋敷地区に神楽獅子舞い、舟渡地区に三匹獅子踊、五味沢に獅子踊と獅子神楽、新派

(喜悲)劇等があった。現在行なわれているのは舟渡の獅子踊だけである。

一回目の小国取材8月末

 荒屋敷の皇大神社が9月1日だったが、お祭りの幟は確認出来ずまま不明。散歩中のお婆さ

んに話を聞くと獅子頭の保管をしている家が実家だったが、獅子頭の存在は記憶に無いとい

う・・。

その後、車で15分程の五味沢地区に向かい、お二人の佐藤さんと出会い詳しい獅子踊と神楽の話を訊くことが出来た。

二回目の取材9月17日

五味沢に山神社の例祭を取材に訪れる途中、舟渡の獅子踊公演に遭遇して取材出来た。

二年に一度、盆踊りと交互に行なうのだという。

三回目の取材10月3日

午後から長井を出発し2時半に公民館に集まる約束である。

途中、現地までまだ時間があるので舟渡で取材しようと人を捜すと塚原 幸(みゆき)さんに

話を聞くことが出来た。幸と書いて「みゆき」と読ませるがお爺さんである。

とても親切に話してくれた。舟渡の神明神社に伝わる神楽獅子は現在、獅子頭を所有する方が

山形市に住んでいるのだという。10月15日の例祭日には訪れるが、獅子神楽は途絶えていて

例祭といっても神事を行なうだけになっていた。

小一時間も立ち話をしていた。約束の時間が迫ってきたので、例祭日にまた御邪魔する

お願いをして五味沢に急行する。





公民館に一回目の取材でお会いした佐藤さんと獅子踊の笛だったお二人が待っていてくれた。

今回は獅子踊の獅子頭と神楽の獅子頭、笛や纏(まとい)火の輪、太鼓、山高帽、獅子箱、錫

杖や資料等を拝見出来た。






獅子踊の獅子頭の箱に文政三年(1820)とある。越後から十数名の一団が塩の道を越えて

五味沢に現れた。しばし逗留して地区に獅子踊を伝え、長井方面に向かったという話が伝わっ

ている。その獅子頭は五味沢村の有志の手作りの作という話である。

雄獅子、雌獅子、子獅子の張り子の三頭。

幕は唐草で羽根みのと額の羽根は外されて箱に入って保存されていた。獅子踊の映像も拝見し

た。

昭和61年小国町の新庁舎のこけら落としの際の踊りのものだった。

「獅子踊唱歌集」には踊りの演目ごとに笛のメロディの口述や、歌懸け(踊りに入る歌)が記

されている。太鼓役の太鼓には演目が記されたメモ書きも見られた。










神楽の獅子頭は一対で、もう一頭あったが火災で失っていた。その後、海外物の獅子頭一対を

買い求め獅子舞に用ていた。獅子神楽の創始は大正の13年頃で、その後昭和6年頃福島県会

津で習得し帰った荒沢の山崎久治氏が五味沢に神楽を伝えたという。五味沢のすぐ南に荒沢地

区があり「荒沢梅川太神楽」が昭和23年頃まであり、山崎氏が五味沢に「二代梅川太神楽」

を伝えたという話を佐藤政彦氏から聞いている。

その名前を染め抜いた舞台に飾る横幕があったという。

神楽では獅子が錫杖と御幣を持って舞う・・その手作りと思われる錫杖があった。



戦後、五味沢には新派の着悲劇も盛んだった。五味沢に文化部があり着悲劇のシナリオを書い

ていた齋藤重次郎氏の入院中の病床で書いたシナリオと文化部部長の辞職届けを認めた手紙を

見せて戴いた。                    つづく
2016/10/05 07:46 (C) 獅子宿燻亭6
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