▼今だから・・・2011/04/03 09:47 (C) The Daily izumiya
▼択里誌についてマスター 被災地への救援お疲れ様です。
私がお邪魔した一昨年の長井の縄文時代を記事にしたブログで、ある方が択里誌についてコメントを頂きましたが、その方のブログにアクセス出来ないため、よく分からないでいました。 地理学のことはよく分かりませんが、長井盆地は住み良いところで、風景も素晴らしいところだと「私は思っているのですが」。 それを長井の人に聴いても「オレしゃねごでー」で終わる。 なんともトホホです。(笑) 2009.10/20の拙ブログ http://blogs.yahoo.co.jp/zudonosan/2211579.html 2011/04/04 09:41:country-gentleman:URL
|
▼100advertising▼ranking
|
(C) Stepup Communications Co.,LTD. All Rights Reserved Powered by samidare. System:enterpriz [network media]
|
地震から3週間が過ぎ、いつの間にか4月ですね。
長井市も地震直後の1昼夜の停電からガソリン不足や物不足が
続いていましたが徐々に落ち着いてきたようです。
当ホテルも地震直後から出入りの業者さんのサポートで、ライフラインを
止めることなく、節電は続いておりますが通常営業に戻りました。
地震の数ヶ月前に、東京のお客様に長井についての話をしたことを
思い出しました。
「もう30年も前の事ですが 択里誌 という韓国の地勢学問の
書物を研究されている先生から長井市が住み易い処ということが、
学会で発表されたことがあります。」
私は長井市の良さを紹介するにあたり、この択里誌の話を引用して
住み易いところというのが証明されているところと説明していますが、
この地震で改めて、以前に択里誌のお話をした方より
「前に話していただいた住み易い条件って何に載っているんでしたっけ?」
という問い合わせをいただきました。
*私の拙い話を覚えていただき感謝です。
この択里誌について、長井市役所の寒河江新一さんが述べられているのを
掲載してみたいと思います。*抜粋ですのでご容赦を。
1.択里志が証明した長井市の楽土としての条件
昭和 54(1979)年に設置されたまちづくり委員会の動きと平行して、結城市(茨城県)、バート・ゼッキンゲン市(ドイツ)など、様々な姉妹都市提携、国際交流という流れもあったが、今日お話しておきたい事は、韓国の地理学である「択里誌」という学問との出会いについてである。これは昭和61(1986)年に当時韓国の檀国大学の学長であったキム先生が長井の商工会議所を訪問され、講義をされたのがきっかけとなっている。長井にはマルコン電子株式会社という東芝の子会社があり、その会社が韓国のほうにも工場を持っていた関係で様々な交流が続いていた。「択里誌」は18 世紀の李重煥という李朝時代の実学者によって書かれた地誌で、昔は地理書といえばほとんどが風水論であったり、科学的アプローチが少ないなどと指摘されてきたが、従来の風水論的な立場を脱却し、地域を実際に実地踏査しながら、より住みやすい地理的な環境とはどういうものか、そういった条件を自ら整理し、たとえば地理、水理、生利せいり、それから交通にいたるまで分析するものである。キム先生が「択里誌」の理論を通して証明したことは、長井という町は、水口(みなくち)、野勢(やせい)、山形(やまがた)、土色(つちいろ)、水理(すいり)、朝山朝水(あさやまあさみず)といった住みやすい土地の条件をすべて備えていることであった。これのことは昭和62(1987)年11 月、日本地域学会における「択里誌の理論に基づいて見た長井市地域の特性に関する考察」という発表のなかで示されている。
択里誌によれば、人間の住むところを卜居(ぼっきょ)という。住みやすいところというのは、民族、地域住民のありよう、地域の文化意識等が絡まってそれぞれ基準はちがうと思うが、東洋社会なら共通点は多いだろうという観点から、卜居というものを共通のテーマとして掲げている。卜居を制定するためには、まず地理が必要であること、それから生利が必要である。生利というのは生活を営むための利益を得る経済条件のことである。地理的条件の次には、経済活動の展開が必要であるという。
キム先生は、長井は空間であって、長井人はその空間でそれぞれを営む時間の住人であるから、住む人の気持ちによって地域社会としての意味がそれぞれ左右される、それは地域の将来の興亡も左右するものだとしている。__
*マルコン電子は現在ケミコン山形になっています。
3週間前を振り返れば、長井市は確かに地震で大揺れはしたが、
破損したところは無く、丈夫な地盤に支えられており、
市内の無耐震構造の古い建物も壊れていません。
相変わらず地下水は途切れることなく豊富で美味しい。
長井市はやはり住みやすいところなのですね。
がんばろう東北! がんばろう日本! そしてがんばろう長井市!